常に「心の平穏」を願い、それが「幸福」だと考えております。
珍しく、時事ネタというものに吠えてみる
これは書かずにいられません。

のほほんと、所々にヲタが見える日記にしたかったんですがw

でも、これは黙ってる訳にはいかないと思い書く事にしました。


お題は、「フィレンツェの大聖堂に学生が落書き」
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/morals/?1214573189
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080624-00000044-yom-soci

この記事です。

これはあくまで「私の考え」です。

違う考えをもち「だからわたしはこう思うのです」ってのは、私の為にもコメントいただきたいですが、「別にええやん」とか「関係ねぇ」みたいなコメントはご遠慮いただきたい。

もちろん、賛同していただける場合は「ありがとうございます」と一言言わせていただきますw



以前にも、サクラダファミリアに落書きした輩がいたと思います。

一言「ふざけるな」と言いたい。

フィレンツェに行けば、ドゥオーモは町の中心で市民に愛されているという事がすぐわかると思います。

「感情が高ぶったから」と落書きした学生は言ってたと思いますが、そんな事が許されますか?

ここに日本人の「文化財に対する意識の低さ」が出てると思います。

文化財が持つ「歴史」というものを踏みつける行為だという「自覚」がない。

私はそう考えます。

こういうことが起こる度に、言われ続けてると思いますが。

人間が生きてきた記録、過去を学ぶ事で未来につなげる。

それが「歴史を学ぶ」という事だと思います。

時の権力者が権力を誇示する為に作った物であったとしても、それを市民が愛し守ってきたのであれば、その文化財には過去から受け継がれてきた愛という「気持ち」も歴史としてもっている。

極論になりますが、土の中から出てきた遺物には、まだ学術的な価値、過去を知るための価値しかまだないとします。

それが様々な人の眼に写り「美しい」という様な感情「愛情」が注がれた時点で、新しい歴史をその文化財は重ねて行く。

そう私は考えます。

歴史というものは「何年にこういう戦争があった」というだけではなく、その当時の市民の感情であるとか、苦しみ楽しみなども学び、自分たちの生きる教科書として使っていく。

過去の惨劇を繰り返さないというだけではなく、過去の普通の生活を知る事も「歴史を学ぶ」うえでは大事だと考えています。

今の日本の歴史の授業では、そういう事を教わる機会が非常に少ないと感じます。

幸運にも、私は良い教諭に恵まれ学ばせていただいたと思います。

文化財について専門的に学んだ時期が有った事も、今の考えを持つに至る一つの要因では有るとも思いますが。

要は、文化財に落書きするなんて行為は、そういう全てを踏みにじる行為なんだよ。

そういうことが私は言いたいのです。

これから海外渡航を行う者は、もっと勉強してから行くべきである。

私はそう考えます。

郷に入れば郷に従え、ではないですが。

少なくとも、歴史と文化を学ぶことは最低限のマナーかなと。

神社仏閣に靴はいたまま上がる外国人参拝者がいたら、誰でも注意するでしょ?

…そうとも言えないかな。

今の日本の若者なら「あー、あの外人靴はいたまま上がってる。超ウケる」とかって言うんかな。

なんか哀しくなってきた。

そもそも、その土地のものに落書きをするという行為自体が問題外なわけで。

過去の落書きが見つかって、学術的にその当時の文化がわかった。

そういう話はたまに聞きますが、今回とはまた別のお話です。

100年後「◯◯参上」って落書きが見つかっても、「アホがいた」としか残らん訳ですよ。


長々と色々と書きましたが、今回のはあくまで私の考えですので、前述させていただきましたが違う考えをお持ちの方のコメントは大歓迎ですw

ですが「学生の行為自体の擁護」はいっさい受け付けませんw


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